ヨガ哲学とお馬さんのコントロール?
昨日のキラリでのヨガレッスンは
ヨガ哲学のお話も交えた内容に
なりました。
レッスン中の
水分補給がてらの
休憩中のときのこと。
お話の流れで
生徒さんが
「自分が自分のことを一番分かっていないと思う」
「自分が自分とは別のところにある感じ」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
そこで
「人間馬車説」のお話をしました。
ヨガの聖典では
人間を馬車に見立てた例えが出てきます。
ヨガの紀元前1000年ごろから伝承されている聖典の、
カタ・ウパニシャッド聖典に記されています。
「暴れ馬のような自分を、
理性のあるもう一人の自分(御者)が上手く手綱をさばき
車主である真我(アートマン)の望む方向に導いてゆく」
カタ・ウパニシャッドでは
これをヨーガ(ヨガ)といい、理想的な生き方としています。
「もしも、その人間の(感覚器官である馬たちにつながる)手綱である『意思』が落ち着いた働きをせずに、御者(ぎょしゃ:馬車の前部に乗って馬を操り、馬車を走らせる人)である理智が正しい判断力によってこの手綱をコントロールしていないと、その人間の感覚器官である馬(眼、耳、舌、手足、生殖器など)たちは暴れ馬のように暴走しはじめる」
(カタ・ウパニシャッド第3章5節)
馬車も
それを運転する人も、乗る人も
ひっくるめて「自分」としての例えです。
ほんと、暴れ馬になってるとき
あるわぁ~~~( ̄∇ ̄)
爆走~~~!!!🐎🐎🐎🐎🐎
さて。
それを沈めるには
馬がどういう状態で、
手綱をどう引いたら
自分の向かいたい方向に行けるのか
てものを知る必要があります。
それには「まぁ、落ち着け」ってのが
まず第一で。
静寂な中で
自分の状態を知ることから始めます。
今の肉体の状態は
いかほどか。
おや、
ここが詰まってるな・・・
ていうようなことを観察するために
ポーズがあって
ポーズをとることで
自分の身体の力みなどに気付いて
そんな感じで身体と対話していくうちに
ポーズが深まっていく。
なので
ポーズのために
グイグイと身体を押して
柔軟性を深めたりとかは
お馬さんを
力尽くで強制しているようなものなのですね。
これではいつか
お馬さんは
故障してしまいます・・・
ちなみに
私のお馬さんが
テンションが上がらないときは
たいていは
お腹がすいているときです( ̄∇ ̄)🐎🍎
まずはお馬さんのコンディションを
確認していきましょう♪
ではまた♡
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