判断は自分に任せる
今日は
娘が小学校の卒業式で着る服を
娘と一緒に買いに行きました。
卒業式は、明後日です。
昨日からしたら、卒業式は
「あさって」なので
かなりギリギリの日の購入。
実は
すでに別の服を購入していました。
今から2か月前に
娘と私で一緒に服を選んで
早々と用意していました。
その後
娘はお友達同士で「卒業式の服、どれ買った?」
とラインで写真のやりとり。
そして先週に
「ママ、卒業式の服、買い直したい」と
私に言いました。
うえぇーーー😱!!!
の驚きと
次に
イライラが舞い降りてきました( ̄∇ ̄)
私の脳内には・・・
この子はなんて物を粗末にする子なのだ😱
物のありがたみが分かってない!😠
どっからそのお金出てると思ってんだ~~~!!!💣
などの言葉が
ジャンジャン湧き出ます。
私「買った服は、ママと〇〇(娘)と一緒に決めたよね。この服どうするの?」
娘「返品できない?」
私「もう日にち経ってるし、タグも切ったからできないよ」
またもや考えがフツフツと湧き出ます。
たとえその服をメルカリとかで出品して
売れたとしても
それでいいっていうことでもないんだよな。
そういう問題じゃなくてさぁぁ~~~
これがイヤだからハイ次、なんていう
考えはもってほしくないよなぁ~~~・・・(--#)
と。
こういうときは
「親として」
新しいものを買ってはならない!と
思ったのだけど
私の「買ってあげたい」が
最初から結果として持ってました。
逆に買わないと私が後悔するな、と
感じました。
結局は
物を大事にしてほしい。
お金は湧き出たものではないよ。
なんてことを娘に理解してほしかったので
卒業式っていうイベントに
我慢の思い出を作るためではないなぁなんて。
買い直す前の服は
清楚な感じの
ワンピースで
友達と服の報告をするまでは
私も娘もとても気にいってました。
だから私も最初のワンピース、着て欲しかったけど
でも友達のを見たら
カジュアルでほどよく脱力した
おしゃれな感じだんたんだよね。
普段から
娘を見ていて思うのは
友達と同じような感じにしたい、
周りと違うことをしたくない、ということが
娘にとってはとても大事なことのよう。
なので
娘に「服を買い直すために〇〇(娘)は何が出来る?」
と聞きました。
娘は考えている様子でした。
私は
「ママは仕事でお金を稼ぐことができる。でもそれをこれ以上したら
お家の用事が回らないから制限してるの。
だからママがお仕事を増やしてお金を稼ぐ分、
ご飯の用意とか洗濯物とか出来る?」
と聞いたら
「うん!料理もやってみる!」と
笑顔で答えてくれました。
そして今日は
アリオに出かけ
気にいった服が購入できて
私も娘も
気分晴れ晴れ♡
このブログに
これを書くのは
「私も随分変わったな」と
思うからです。
ちょっと前の私だったら
「何勿体ないこと言ってるの」
「絶対に買わない。」
って言ってると思う。( ̄∇ ̄)
もし
同じような状況の人が
新しい服を買ってあげてたら
「甘やかしすぎ」
なんて思ってたかもなぁ。
でも今は
人の行動(娘も含めて)を表面の出来事だけで
判断することも少なくなってきて
こうすべきとか
良い悪いの判断すら
なくなってきて
自分に起こったことを
自分任せで考えて
結局どうしたいか?
ってことに淡々と進めるようになってきたと
思います。
これはほんと
私の中ではヨガの影響が強いです。
「こうあるべき」は、
そもそもない。
「私、どうしたい?」
「それをするにはどうしたらいい?」
その答えを感じられるようにするために
自分の心を知るために
ヨガをしています。
今回のこともね
買いなおしをしても
しなくても
どちらかが正解とかなくて
どっちも学びはあると思うんよね。
あとは私次第。
服を買いなおすことを決めてから
娘は家の手伝いをよくしてくれるようになりました。
一緒に選択物をたたんでいるときに
私「ママ、仕事好きなんよ。
ただ、君らといる時間と家の用事をする時間がほしいから
仕事を制限してるけど。
夏にコールセンター始まるからそれ増やすわ」
娘「え?そうなん?」
知らんかったか。
普段はこんな話しないものね。
あ、最初に購入したワンピが
ネットで5000円以下と良心価格だったので
それで、まぁ買いなおしてあげよう、というのも
あります。
夏まではお手伝い、積極的にやってくれるかな~~
ではまた(笑´∀`)
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